中学生の生徒さんの夏休みの課題で、「身近な大人はAIをどのように活用しているか」というテーマのレポート提出ががあるようで、インタビューを受けました。
私は現在、音楽やデザインという、一見するとAIとは遠いように思える分野で仕事をしていますが
インタビューをきっかけに、改めて振り返ってみると、私自身もさまざまな場面でAIを活用していることに気がつきました。
例えば、
演奏会のプログラムや企画のコンセプトを考えるとき
デザインの大きな方向性を整理するとき
自分の中にある考えを言葉にし、組み立て直すとき
今の私にとってAIは、何かをすべて代わりに生み出してくれる存在というよりも、頭の中を整理し、仕事を前へ進める手助けをしてくれる「秘書」のような存在だと感じています。
そして今回、生徒さんの質問に答えながら、音楽や美術を学ぶ本質についても、改めて考えさせられました。
音楽や美術は、単に「きれいで雰囲気のよい音を作ること」や、「見栄えのよいものを作ること」ではないですよね。
AIは、もっともらしい案や、それらしく整った表現を生み出すことはできます。
けれど、その作品に人生を懸ける理由も、誰かにどうしても伝えたいという切実さも持っていません。
感動そのものを経験したわけでもありません。
景色を見て心が動いた経験。
人との関わり。
喜びや喪失。
これまでに触れてきた文学、歴史、美術、音楽。
そうした人生経験や教養が横断的に結びつき、その人ならではの表現になっていくのだと思います。


(※写真は2025年12月に訪れた印象派展)
音楽や美術を学ぶ本質とは、技術を身につけることだけではなく、感受性を養い、人として世界をどのように見つめ、何を感じるのかを育てていくことなのかもしれません。
だからこそ、人間が担うべきなのは、
何を表現するのか。
なぜ、それを表現するのか。
その表現によって、人の心や社会にどのような価値を届けるのか。
これらを考え続けることなのだと思います。
私自身も、これから一層考え深めていきたいと思いました。
生徒さんからインタビューを受けるはずが、私の方が、自分の仕事や芸術を学ぶ意味について考える貴重な機会をいただきました。
素敵な質問をありがとうございました。



